盛岡の歴史2016.12.19
皆さんは盛岡の歴史と聞いて何を思い浮かべますか?
岩手と聞くと鎌倉時代の平泉や明治時代の文豪達等を思い浮かぶでしょうが、盛岡の歴史と聞くとあまり想像するのが難しい人が多いでしょう。
盛岡の歴史を調べる為に、もりおか歴史文化館で取材をさせていただきました。
今日は盛岡の歴史についてご紹介したいと思います。
現在の盛岡市が出来る遥か昔、征夷大将軍である坂上田村麻呂により志波城が築かれました。
その後、鎌倉時代に甲斐国(現在の山梨県)の南部に栄えた甲斐源氏の流れを汲んだ源氏寄りの大名が、平泉の奥州藤原氏征討の功で現在の青森県八戸市に上陸しました。
それが江戸時代までに盛岡を収めていた南部家です。
南部家は日本でも有数な名家で、鎌倉時代に源頼朝に出仕して以来、700年間も同じ土地を領有し続けた大名は、薩摩の島津家と南部家の2家のみとされています。
安土桃山時代、豊臣秀吉により朱印状を会得し、豊臣大名として公認されました。
豊臣秀吉が滅びた後、江戸時代には徳川家康からもそのまま所領が安堵され、表高10万石の大名として認められました。そして南部信濃守利直(としなお)が、盛岡藩初代藩主となります。
盛岡藩の領域は、現在の岩手県の中央部から北側、青森県の太平洋側、秋田県の鹿角地方に渡り、10郡で構成される広大な領域でした。
今でこそ農業が盛んな地ではありますが、盛岡は古くは余り米などの農作物が多く取れない地域でした。石高の比率は、仙台藩63万石とすると、盛岡藩10万石と、広大な領地にしては非常に少なく、やませや冷害等が原因で豊作と言える年が多くありませんでした。
その為、盛岡藩は鉱山・良馬・鉄器等の、他の産業で経済を支えました。
盛岡藩領は昔から近の産出地として知られていました。特に鹿角郡や志和郡では良質の金を産出したため、初期の藩財政に大きく貢献した。しかし、産金量は徐々に減少し、廃坑あるいは産銅へ切り替える鉱山が増えました。
そして17世紀中頃、茶道に造詣の深い第2代藩主・南部重直は、甲斐から鋳物師の「鈴木縫殿(ぬいと)家綱」(現・鈴木盛久工房)を、京都より釜師「小泉仁左衛門五郎七」(現・御釜屋)を召抱、領内の良質な砂鉄を元に鉄瓶の製作を進めた。以後、南部釜と称される南部鉄器の本格的な生産が開始されました。
奥州は古くから馬産が行われていました。盛岡藩にとっても重要な産業であり、領内9箇所に直営の牧場を設けて、優良馬の育成を行いました。領内で育成された馬は「南部駒」と呼ばれ、幕府や諸大名の買い付け人が訪れるほど高い評価を得ていました。
中でも糠部と呼ばれた地域は名馬の産地として知られ、糠部の公田に課せられた年貢は馬で納められていたともされていた程、高価で良質とされていました
物流は北上川舟運による輸送が主流であり、仙台藩の石巻を経由して江戸・上方と結ばれていましたが、西には鹿角街道(流霞道)があり、遠国との海運を果たす重要ルートでありました。盛岡藩は砂金、紫紺、良馬の産地であり、城下には大店が並び上方からの下り物取引があり、飢饉の頻発した農村と比べれば経済的には豊かでした。
更に北上川舟運による輸送が盛んに行われており、仙台藩の石巻を経由して江戸・上方と結ばれていましたが、西には鹿角街道(流霞道)があり、遠国との海運を果たす重要ルートでありました。盛岡藩は砂金、紫紺、良馬の産地であり、城下には大店が並び上方からの下り物取引があって、飢饉の頻発した農村と比べれば経済的には豊かで、時に町人の生活は華美になり、過度に山車の壮麗さを競う風潮も生まれました。それは開府に先立って招聘した近江商人をはじめとする「領外商人」進出による影響が大きいと言われており、その他にも山城(京都府)・大坂(大阪府)・伊勢(三重県)・美濃(岐阜県)・常陸(茨城県)・富山など主に西日本から多くの商人が定住し、後にその末裔は後世に企業や銀行の創設に関わるなど、盛岡の文化・経済を大きく動かすこととなります。
他にも他国と貿易の品としては主に、干鮑等の魚介類を干した物が多く取り扱われていました。それを北上川から長崎までかけ、その後清等で高値で取引されていたとされています。
すが江戸時代には多くの飢饉が起きました。
古くから東北では飢饉が非常に多く、その度に多くの死者を出していました。特に、慶長5年(1600年)から明治3年(1870年)の盛岡廃藩までの270年間を通じて断続的に飢饉が続き、その間に、記録に残っているだけでも不作が28回、凶作が36回、大凶作が16回、水害が5回、計76回もの飢饉が続きました。
その為盛岡藩の飢饉による一揆は、記録されているだけでも132回程と言われ(次点の久保田藩(秋田藩)は87回)、盛岡藩は非常に一揆が頻繁に行われていました。
いかがでしたでしょうか?
大まかですが盛岡の歴史をまとめてみました。
この他にも、企画展連動イベントや講座など、盛岡の歴史と文化を楽しめる企画が開催されているので、興味のある方は是非足を運んでみて下さい。
もりおか歴史文化館
所在地:〒020-0023 盛岡市内丸1-50
電話:019-681-2100
開館時間:4月~10月 9時~19時(2階歴史常設展示室への入場は18時30分まで)
11月~3月 9時~18時(2階歴史常設展示室への入場は17時30分まで)
休館日::毎月第3火曜日(祝・休日の場合は翌日)
12月31日~1月1日(駐車場敷地内に一般車両の駐車スペースはありません。
隣接する「盛岡城跡公園地下駐車場」(有料)など近隣の駐車場を利用してください。)
交通アクセス
電車を利用の場合:JR盛岡駅下車,徒歩20分程度
バスを利用の場合
岩手県交通・岩手県北バス:「県庁・市役所前」下車,徒歩4分程度
「盛岡バスセンター」下車,徒歩5分程度
「盛岡城跡公園」下車,徒歩4分程度
車を利用の場合:盛岡ICから車で25分程度
盛岡南ICから車で25分程度
江戸時代からの伝統を世界へ 南部鉄器「株式会社岩鋳」2016.12.16
ビッグハウス川久保店の向かいにある南部鉄器の株式会社岩鋳。
こちらの観光部販売課の小川泰輔さんにお話を伺いました。
株式会社岩鋳は創業明治35年6月で、長い歴史を通して現在も岩手県内をはじめ日本国内や世界に南部鉄器を販売しています。
南部鉄器は、江戸時代からあります。
鉄瓶は、保温性・耐久性が優れており、IHとも相性が良く、湯を沸かすのに時間がかかりません。
岩鋳はその特徴を活かし、昔のことも考え時代に合ったものを、時間をかけてでもお客様に合った商品を提供しています。
館内を見学させていただきました。
入り口に入る前にどんと構える南部ジャンボ鍋。
今までに見たことがない大きな鍋にびっくりしました!!
この鍋でなんと2000食分作れるそうです。
盛岡駅付近にあるマリオスや映画館通りにある街路灯は、実は岩鋳が南部鉄器で作られました。
南部鉄器は暮らしの中で大変役に立ち、大きな存在となっているんですね!
館内にあるショップには、鉄瓶のほかに急須や鍋、風鈴などがあります。
南部鉄器で作られた商品はなんと1800種類あるそうです!
日本国内だけではなく、中国や台湾、フランスやアメリカなど世界の様々な国に出荷しています。
海外では、南部鉄瓶を「湯を沸かす道具」だけではなく、「インテリア」として置く方も多いようです。
筆者がおすすめしたい商品は、ハローキティとコラボした急須です。
ふたのつまみのところがキティちゃんになっていて、お茶を飲むのが楽しみになりますね!
お値段は6264円です。
小川さんは「館内は無料で見ることができるので、気軽に立ち寄っていただきたい。製造工程をタイミングよければ間近で見ることができます。南部鉄器を家用や贈り物として利用していただきたい。」と仰っていました。
岩手の人も県外の人もぜひ足を運んでみてください。
[担当者:みずき]
——————————————————————-
株式会社岩鋳
〒020-0863
盛岡市南仙北2丁目23-9
TEL:019-635-2501 FAX:019-635-5248
営業時間:AM8:30~PM5:30
定休日:火曜日、12月31日、1月1日
入場無料
MAP
——————————————————————–
昔ながらの日用品 勢ぞろい!2016.12.16
岩手銀行中ノ橋支店を曲がって歩いていくと、一瞬タイムスリップしたかのような気持ちになるお店が紺屋町にあります。
日用品を扱う「茣蓙九 森九商店」です。
こちらの店主、森理彦さんにお話を伺ってきました。
「昔ながらのものを地域の皆様に使っていただけるように」という想いで販売しています。
このような昔ながらの商品があります。
店主のおすすめがこのお弁当箱!
作った方によって一つひとつ形が違って、同じものがないことから手にしたら世界に一つだけの商品と言えます。
お弁当箱だけではなく、お弁当箱のミニバージョンのような名刺入れもございますよ。
お値段は、お弁当箱…4320円 名刺入れ…3240円
筆者がおすすめしたい商品は、ミニミニたわし&盛岡市ごみ分別早見表(非公式)です。
とても小さいたわし赤・青・緑の3種類があります。
手のひらサイズでとても可愛らしく、ちょっとした汚れに使ったり、ボールチェーンなどで通せばちょっと変わったキーホルダーにもなっていいと思います。お値段は432円です。
このたわし以外にも様々なたわしがあります。
カラフルなたわしやふわふわするたわしなど種類が豊富です!
盛岡市ごみ分別早見表(非公式)は、ごみの分別方法がわかりやすくやわらかいデザインであるため、見るのが楽しい商品です。
お値段は、486円です。
このような可愛らしい商品もあります!
遠くから見ると茶色い置き物かと思いましたが、近くで見てみるとなんとたわしでできた可愛らしい動物の置き物でした。たわしからできていることに大変驚きました。
。。
森さんは「おかげさまで紺屋町で長く商売をしておりますが、お店の名前は聞いたことがあるけれど入ったことがないという方が多いです。建物を見るだけでもいいですのでお気軽にお立ち寄りいただけたらと思います。紺屋町は中津川が近くに流れている素敵な町なので、この地域にもぜひ訪れてみてください。」と仰っていました。
。。
ぜひ一度森九商店、紺屋町を訪れてみてはいかがでしょうか。