MORIOKA NPO LIFE

ペンちゃんのNPOコラム-その2-2010.11.03

「NPOの財政基盤」

  非営利団体という名称から、NPOは利益を上げてはいけないという誤解が存在している。例えば、株式会社であれば株主という出資者個人に利益を配当するが、非営利団体では、株式会社のような個人への利益分配を行ってはいけない。非営利団体の場合、組織に利益があれば、それは次の活動を通じて社会に還元することが義務づけられ、団体を解散する場合は、財産は同じような活動を行う団体や地方公共団体等に寄付することが義務づけられている。

 そんな話をすると職員の給与は個人への利益分配に当たらないのかと聞かれるが、職員の給与は経費である。また、NPO法人の場合は、役員報酬を受けることが出来る理事は理事の3分の1以下となっており、その報酬も原則的には事前に決められた額を定時定額で受け取れるだけとなっている。

 当たり前のことだけど、非営利団体といえども、何か活動を行えばお金がかかる。いや、活動を行わなくても、組織を維持するだけでもお金はかかる。例えば通信費や事務所があれば光熱費や家賃もかかる。チラシ1枚印刷するにしてもパソコン、プリンター、用紙、インクが必要だ。事務を行う人を頼めば短時間でも人件費もかかる。NPOであっても、そういった様々な経費を捻出できなければ、組織の維持は難しい。

  ところが世間では、NPO=非営利団体、だから、ボランティアで無償というイメージが広がり、参加費とか資料代という話をしたとたん、「NPOって利益をあげちゃあいけないのでしょう。どうして、NPOなのにお金を取るの?」とまるで、悪質商法にでも出会ったような反応をされることもある。

 そんな時はチャンスだ!NPOの役割や意義とともに、NPOが地域の中で責任ある存在として継続的な活動をするためにはお金も必要で、財政基盤の確立が必要なことをきちんと説明する。ボランティアは、出来るときに、出来る人が、出来るだけ!でいい活動だ。でも、NPOとして継続的に公益的な活動の一端を担うとしたら、サポートが必要な人に対して、私達は出来るときに出来るだけの活動だけを行いますと言っていたら、あてにはされないだろう。地域の中で信頼される存在となるためにも、NPOが財政基盤を確立していくことが大切になる。

ぺんちゃんのNPOコラム vol.12010.07.25

信頼の基盤

  団体を運営していると避けられないのが、会計だ。NPO法人の会計については、行政から公益法人の会計基準に沿った雛型がだされているが、法律で規定された会計基準はなく、正しく記載されていれば様式等は自由裁量に任されている。

 ある意味、団体が自分達の規模や活動内容にあわせて自由に会計方法を選べるというのは便利といえば便利なのだが、いろいろなやり方があるので比べるのも難しく、相談をしても相談者を戸惑わせてしまうこともしばしばだ。また、雛形が公益法人会計をベースにしているため、企業会計をベースに会計指導を行っている税理士・会計士さんの支援を受けにくいという指摘もされてきた。多くのNPO会計担当者はなれない会計を前に、相談できる人も少なく苦労してきたのが現実だ。

 でも実はNPOにとって会計報告はとても大事な業務の一つ。NPO法人制度は情報公開による市民の監視を理念に作られた制度であり、他の法人と比べても、高い情報公開が義務づけられている。その公開された会計情報を見て、誰も内容がつかめないのでは意味がない。ましてや、NPOは多くの支援者に支えられて活動し、継続が可能になる。支援をしてくれた方々に、あなたの支援はこんな活動にこんな風に使い、これだけの成果が上がりましたと報告する義務もあるし、その報告が理解でき納得できて初めて次の支援があるのだ。だとしたら、その報告の中で、どんな風にお金が使われたのかわからなければ、信頼を生んでいくことは難しい!

 そこで、登場したのが、NPO法人会計基準協議会だ。税理士、会計士、NPO関係者といった人達が力を合わせ、NPOにとって使いやすい会計基準を、力を合わせて作り、みんなで使っていくことで、使いやすいわかりやすいNPOの会計制度を作っていこうと、6月の完成に向け話し合いを重ねているそうだ。

 NPOの世界では、問題や課題を見つけた人が声を上げ、共感した人達がそれに協力し、その課題を解決するための行動を起こし、共感の輪を広げながら解決を図っていく。会計問題にたいしてもまさにNPOらしい取り組みが展開している。この様子に、NPOが持つ大きな可能性を再認識している。できることは、山のようにある!

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もりおか市民活動支援室 通信vol.5 掲載コラムより

夏の思い出2010.07.24

 6年前の夏(2002年)、盛岡に越してきた。引越しの後、初めて市街地に向かい、仙北の町を通った。町屋の趣を残した通りは、どこか懐かしく郷里の武家屋敷や城下町を思いおこした。

 私が育ったのは、瀬戸内海に面した人口8万人の小さな市。小早川隆景ゆかりの瀬戸内海に浮かぶ城「浮城」の周辺に広がる城下町だ。住所は城町といい、立派な石垣の残る公園、造り酒屋の蔵、商店街の裏路地などが毎日の遊び場だった。

 子供の頃の四季折々の行事も記憶に焼きついている。節分の日は、「鬼の豆つかあさい!」といいながら、袋を持って近所を回る。家々では、子ども達のために鬼の豆やお菓子を用意し袋に入れてくれる。1時間も近所を回れば、紙袋がいっぱいになる。昔はお菓子なんてなかなか買ってもらえないから、それは大事な戦利品だ。家で缶に入れてもらい大事に食べた。

 節分が終わると、春を告げる「神明市」が開かれる。3日間、街に広がるお寺をつなぐ旧道数キロが歩行者天国になり、道の両側に植木屋、飴屋、だるま屋、お化け屋敷、見世物小屋、たくさんの的屋が並び、まさに、道は人で埋まる。この道が小学校の前で、通学路にもなっていた。この時期は、どこか勉強も手に付かず、帰り道が楽しみだった。

 6月も中旬に入ると、半ドン夜市が始まる。毎週土曜日の夕方から、市内5つの商店街がみんな歩行者天国になって夜店が並ぶ。この夜市は、8月に行われる「やっさ祭り」まで続く。街をあげて、3日3晩踊る。子供会、町内会、会社、毎夜違ったグループで揃いの浴衣を来て、街を練り歩く。そして、フィナーレは、花火大会。故郷を離れて、20年を越えた今も、夏の思い出は、鮮明に心に残っている。

 どこか懐かしい仙北の町並みは、そんな故郷の思い出を思いおこさせてくれていた。ところが、越してきて数年も立たないうちに、道路の拡張工事もあり、仙北の町並みは大きく変わってしまう。そして同じように、久々に帰った故郷の町並みも大きく変わり、遊び場だった町屋は、マンションに姿を変えていた。「自分にとって大切だったものが消えてしまった」そんな寂しさを覚えた。

 故郷を離れてしまった自分には、それを悲しむ資格はないのかも知れない。でも、故郷の文化や伝統が消えていくことは、自分の根っこを失うことのような気がする。故郷に住む妹や友に街の文化や伝統を伝えていって欲しいと願う自分に気づいた。

 そんな願いが通じたのか、昨年(2007年)、毎日仕事をさせて頂いている仙北で、伝統行事「もりおか舟っこ流し」に参加する機会を頂いた。地域の活性化を目指すNPO(民間非営利団体)として、何をすべきか内部で議論を重ね、「伝統行事を次世代に引きついていくため、地元町内会だけでなく、地域の人みんなが参加できる仕組みを作り出そう」という目標を掲げ、ボランティアの皆さんと舟っこを作り流すことになった。「昔は仙北に住んでいたけど参加したことはなかった」、「今は隣の町に引っ越したのでもう参加できないと諦めていた」、「始めて参加した。こんな行事が盛岡にあったことを知らなかった」など、高校生から社会人まで多くの人が始めて参加し、その魅力を感じとってくれた。また、初めての舟っこ参加で何もわからない私達に、手を差し伸べてくださった地元の皆さんの応援も温かかった。伝統行事は、若者の心をつかむ力と、地域の人を繋ぐ力、そんな魅力を持っているからこそ長い間続けられてきたのだと思う。

 去年の舟っこの炎は、私の大切な夏の思い出として消えない情景となった。私が故郷を大切に思う気持ちを重ね合わせて、仙北の伝統行事「舟っこ流し」に参加できることを大切にしたいと思う。そして、次世代にきちんとバトンを引き継いでいきたいと願っている。

今年も、亡き人への想いを乗せた舟っこが、北上川を熱く昇っていく夏が来る。

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2008年 街もりおか 8月号に掲載されたコラムより