Isshiy´s Dialy

伝承するということ2010.08.23

昨日は順延となった「舟っこ流し」に参加してきました。
今年は全部で16隻の舟が出され、その内14隻が町内会からですが、私は NPO法人アイディングが出す舟のお手伝いで参加してきました。
該当の町内会に住んでいなくとも、広く多くの希望者や次を担う若者達が200年以上も続く伝統行事に参加体験し、この盛岡独自の行事をつなげていきたい等の想いで企画されていて、実際私達の舟の流し手は9割が高校生でした。
驚きというか、ショックだったのが、その高校生の約半数以上が今まで参加どころか、「舟っこ流し」を見に行ったことさえなかったこと。
「舟っこ流し」は盛岡市の無形民俗文化財にも指定されていて、お盆の最終日にご先祖様や亡くなった方達の御霊を弔い、また風雨順次や五穀豊穣の祈願を行う伝統行事であり、夏の風物詩のひとつ… というのは、市民にとって“当たり前”ことではないないのだと思い知らされました。
確かに流し手の高齢化は会場に行くと痛いほどに感じられますし、「町内会」活動が昔ほど活発的でなくなっているこの時代、このままだと知らない間に規模が縮小されていき、いつのまにか消滅してしまう…  いまは考えられないことかもしれないけれども、今回アイディングが行ったようなアクションや各町内会での次世代への継承活動が行われなければ、その可能性は否定できない、そう肌で感じてきました。
希望だったのは、舟を流した終えた高校生達の高揚した笑顔と、おつかれさん会での「自分の住んでいる地域の活動に目を向けようと思った」「また来年も参加したいと思う」といった感想。
「舟っこ流し」に関わらず伝承行事は文化財登録をしていく以上に、受け継いでいく人達にとって身近な活動や行事となり、また実際に参加体験する機会がいかに大切なことか、改めて感じさせられた。
最後に、今回私達の舟に亡くなられた旦那さまの位牌を載せて供養されたまだお若いご婦人から涙ながらに感謝の言葉をいただいた。
たぶん、私はまだこの行事の奥深さを分かっていない。
しかし花火大会もセットの「舟っこ流し」はお祭りであると同時に、故人の冥福を祈り、残された家族や関わる人達に大切な何かを与えてくれる継承していかなければいけない大切な伝統行事なのだということは強く感じた。